2018年11月18日日曜日

今年の冬は、平成最後の冬か―。

今日はタッチタイピングの練習でとても疲れました。最近の冷え込みのせいであまり熟睡できず、体調もいまいちです。少々、疲労が溜まっています。

タッチタイピングの練習
タイピングは専ら手元を見ながらしていますが、
  • タイピングスピードが上がらない
  • 手元と画面を交互に視認することから起こる目の疲労感
に限界を感じ、タッチタイピングの練習に取り組むことにしました。
寿司打というサイトで練習してみると、タイピングスピードは、1秒間に3回と判定されました。何回チャレンジしても上達しません。まだまだ、ゆっくりしか打ち込むことしかできないタッチタイピングですが、手元を視認する回数が減るだけでも目は楽になります。とはいえ、画面を見つめ続けるのも疲れるので、視線が偏るのは避けなければなりません。厳密にいえば、手元と画面の視認動作を最小限でタイピングできるようになる為の練習といった方がいいかもしれません。
意外にも神経を使うのが、文字を訂正する時のキーボード操作です。ホームポジションから遠いバックスペースキーやデリートキーを手の感触で探すのは神経を使う厄介な動作です。バックスペースを指の感触だけで探せないので結局キーボードを見てしまいます。タッチタイピングは、手元を視認しながらのキーボード操作とは使う神経といいますか、意識の持ち方がまるで違うので、練習していると、体よりも頭というか精神が疲れます。タッチタイピングの特有の感覚や神経を鍛錬して作り上げることが重要です。
あまり根を詰めずに、楽しく練習を続けられたらと思います。我ながらよく頑張ったという満足感と疲労感が出てきたところで、練習は切り上げることにしています。

肌寒い時は、おかゆ
冷え込んで肌寒くなると、おかゆを食べる機会が増えます。
  • 体が温まる
  • 冬の乾燥からくる水分不足を補う
  • とろみがあるので嚥下咀嚼が楽
  • 胃腸への負担が少ない
というのがおかゆを食べる主な理由です。
単なるおかゆに飽きてくると、

トッピング
  • 梅干し・・・食欲不振の時は、梅干をおかゆに入れると、食欲が出てきます。さっぱりとした酸味がむかむか感や胸やけ感を軽減してくれます。 
  • 昆布・・・旨味が増します。
アレンジ
  • チーズとコンソメ・・・洋風リゾット
  • 卵とガラスープ・・・中華風リゾット
などアレンジを加えながら食べることもあります。

市販の梅干しは物足りない気がする
最近の市販されている梅干は、酸味、塩味、甘みのバランスが良く、正直なところ、少し物足りません。味がそつが無いというか、上品というか、無難というか、どこかパンチが足りないのです。昔の自家製の、癖が強い梅干しが食べたいと思うことがあります。

自家製の梅干し
昔は梅干しを自宅で作るのが当たり前だった記憶があります。梅干をお店で買う感覚は今より希薄だったと思います。材料になる梅の実は、おすそ分けしてもらったり、山で拾ったりと、梅の実の調達でお金を使うことはなかったと思います。梅を塩漬けして乾燥させ、紫蘇の葉と漬け込むと、赤く色づいた梅干しが出来上がります。母親がベランダに梅を竹のかごに入れて干していたのをよく見掛けました。にわか雨の時は、梅の実が濡れてはいけないと、慌てた母親がベランダへ全力疾走で駆け上っていました。
さて、自家製の梅干しの特徴は
  • 酸味・・・頭が痛くなりそうな酸っぱさ。
  • 塩味・・・一口で丼一杯の白米を一気に食べてしまうのではないかという程のしょっぱさ。
  • 見た目・・・黒い斑点がついた梅干しも有った。
  • 食感・・・ゴワゴワした果肉。
  • 種・・・種の食感は両端が尖ってチクチクとした不快でしたが、味は種までしみ込んでいて、この種をダラダラと味がなくなるまで口の中で転がしていました。味がなくなるとこの種をかみ砕き、中にある実を食べていました。この種の実がツルッとした食感と丁度いい酸味と塩味ですごく美味しかったのを覚えています。種を食べると体に悪いという人がいましたが、梅干として漬け込んでいる梅の種の中実は問題ないようです。現在は、噛む力が弱っているので、かみ砕く勇気はありません。
自家製の梅干しは作らなくなりましたが、あの癖の強い強烈な味の梅干しが懐かしく、食べたいなと思うことが今でもあります。出来上がった梅干しは、海苔の空き瓶や、陶器の壺に入れて食卓に保管していました。

重宝した海苔の瓶
現在では見かけなくなりましたが、昔の海苔は、瓶の容器の中に入っていました。大きさと厚さがまあまあ有り、梅干を保存する容器として母親が好んで使っていました。
そんな頑丈さで重宝されていた海苔のガラス容器を、幼少期の私は生き物の飼育ケースとして使っていました。当時は今のようなアクリル飼育ケースは高級品で、街のペットショップに行かなければならず、簡単に手に入るものではありませんでした。本式の飼育ケースに憧れたものです。 このガラス容器でカブトムシやエンマコオロギの飼育ケースとしたり、メダカや金魚すくいで獲った金魚を飼育する水槽代わりとして使っていました。メダカの水を変える為に、ガラス容器を移動させる時に誤って落として割ったこともありました。その時は親にこっぴどく叱られたものです。 容器の大きさは、カブトムシの飼育は小さくて不向きでした。エンマコオロギやメダカくらいの小さな生き物の飼育が、ちょうど合っていました。

秋の生き物の飼育はエンマコオロギ
幼い頃、生き物の飼育で一時ハマっていたのは、エンマコオロギの飼育でした。カブトムシやセミのように、夏の炎天下で行なう虫取りとは違い、捕獲や飼育が楽だったからだと思います。 そう考えると、この頃から既に、夏は苦手だったのかもしれません。夏の、庭の草むしりで抜いた草を庭先に積み上げておくと、秋になるとその中には、エンマコオロギが自然と集まってきて、一晩中、賑やかに鳴きます。それを虫取り網で捕まえ、海苔のガラス容器で飼育するわけです。まん丸い頭とクリっとした目が特徴のコオロギです。エンマコオロギは飼育スペースに入れ過ぎると、共食いを始める場合があったので、入れ過ぎないように注意します。容器に入れる土は、高く盛りすぎると脱走を図られるので、容器の半分以下にしておきます。呼吸ができるように、みかんの入っていたネットを被せて輪ゴムで固定したら飼育ケースの完成です。秋なので、家庭で食したリンゴやナシの皮や芯を餌として与えていました。雑食性なので、煮干しなども与えていました。エンマコオロギの旺盛な食べっぷりを、飽きもせず、じっと観察していました。雄は夜になると、羽を擦り合わせて音をたてます。寝床でうつらうつらしながら耳に入る「コロコロ」という鳴き声は、なんとも言えない心地良さあったのを覚えています。尻尾が長いのが雌で、冬が近づくと、この尻尾(産卵管)を土の中に差し込んで産卵をします。

もうすぐ冬
冬が来るとエンマコオロギは自然に死んでいきます。一匹もいなくなった容器の土をそっと掘り返してみると卵があります。あんな窮屈な海苔の瓶で飼育されながらも、次の世代へ命を繋いでいたエンマコオロギを、今思うと、感慨深いものがあります。春が来ると、小さいエンマコオロギが土の中からひょっこりと出てきます。その時に、庭先に放つと飼育観察は終わりというわけです。
そんなエンマコオロギの飼育ですが、今では、触ることさえ怖くてできません。幼い頃は、身近な生き物で害虫や爬虫類以外は平気で触っていましたが、いつの間にか、怖くて触れなくなりました。今では、触れるのは猫と犬くらいでしょうか。自分でも一体どうしてこうなったのか不思議です。
コオロギの鳴き声が聞こえなくなると、本格的な冬を迎えます。
平成最後の冬を、元気に乗り越えたいと思います。

2018年10月17日水曜日

暑いのか寒いのかわからないまま、住環境やムツゴロウさんを思う。

ここ数日、体温調整にてこずっています。
日中は、半袖でも汗ばむような晴天、夕方からは肌寒くなり、慌てて長袖を引っ張り出して、夜間は電気ストーブをつけるというサイクルがここ数日続いています。
暑いのか寒いのかわからなくなります。例えば、同じ26度の室温でも、日によって、暑いと感じることもあれば涼しいと感じることがあるのです。

体温調整が難しく感じる
日中は暑いと感じるのですが、夕方16時くらいから肌寒く感じ、電気ストーブを着けて暖をとります。日没後、さらに冷え込むと入浴で体を温めます。風呂上がりは、再び日中のような汗ばむ感覚に戻ります。体のほてりが引くまで、扇風機とクーラーで涼みます。体のほてりが抜けるとドライヤーで髪を乾かす気になれます。ドライヤーで髪を乾かし終えると、すぐに肌寒くなり電気ストーブのスイッチを入れる、といった流れです。
就寝時は、電気毛布を弱めに設定し、肌寒さを緩和させながら眠りにつきます。朝、日が昇ると一転して、暑苦しくなり電気毛布は蹴飛ばして足元で団子状態になっています。朝、昼、晩の寒暖差、気温の乱高下が激しく、対応に追われるのが大変なこの数日間でした。
体温調整がうまくいかず、体調が芳しくありません。食欲も少し落ちているようで、いつもより食が進まない気がします。 体の不調は皮膚や粘膜に顕著に現れます。体の調子が悪くなると、
  • 口角が切れる
  • 唇が割れる
  • 肌荒れ
  • 食欲不振 
  • 吐き気
  • 下痢
  • 目の充血
といったように、皮膚や粘膜に不調の傾向が現れると今日は調子が悪いな―と、判断できるのです。これは昔からの体質です。

唇がパンパンに腫れたことも
サッカーロシアワールドカップの時に、日本代表の槙野選手が、自身の腫れた唇をインターネット上にアップして話題になりました。海外遠征の環境の変化や、試合からのプレッシャーのストレスが影響したのでしょうか。 あの腫れた唇を見た時に、自分の経験した症状にとても良く似ているなと思いました。 唇の腫れが現れていた頃の生活環境は、仕事からくる激烈なストレスと、それから波及する生活リズムが著しく不規則化した状態にあり、息つく暇もない、怒涛のような生活でした。おそらくこれが原因だと思っています。

仕事の激烈なストレス
  • 販売ノルマのプレッシャー
  • 上司からの激しい叱責
  • いろんな県で寝泊まり(月の半分以上は県外に出張)
  • 膨大な仕事量
  • 深夜まで長時間サービス残業
  • 落ち着いて食事休憩もできない
  • 休みが取れない
など、他にも挙げればたくさんありますが、だいたいこういったところです。
さて、唇の腫れは、深夜から未明、早朝の時間帯に起こることが多かったです。口角が切れることもあり、ほぼ毎日のように現れていました。そのせいで口が痛くて、食事やあくびもまともにできない状態でした。つらい痛みと見た目の恥ずかしさに耐えかね、病院に駆け込みます。午前中は病院で注射を打って腫れを抑えるということを繰り返えすようになっていました。唇が腫れ上がる度に、おずおずと上司に通院許可を願い出るのが本当に嫌でした。 この注射は、ケベラと呼ばれていました。何度も通院していたので、よく覚えている薬品名です。ケベラの効能を確かめてみると、アレルギー性蕁麻疹、口内炎、に使われる薬とのことで、注射をすると10分程経つと唇の腫れがスッと治まる、よく効く注射でした。しかし、数日するとまた同じ症状が現れ、唇が腫れ上がるたびにケベラの注射をするということを繰り返していました。
当時の体調管理は、自分ではどうすることもできず、怒涛のような日常に振り回され、策を講じる気力さえありませんでした。
先述した、激烈な仕事のストレスから波及する生活リズムの悪化は、
  • 睡眠不足
  • 慢性疲労
  • 飲酒
  • 喫煙
  • 暴飲暴食
を誘引し、うすうす、そのうち大病をするのではないかという予感はありました。そして、悪い予感は後に現実のものとなり、重症筋無力症の発病へとつながるわけです。
話は逸れましたが、そういった体の不調が現れるのは精神的肉体的ストレスがきっかけであることが多く、自分の体質はストレス管理を楽観視できないものであると思っています。
最近は、当時のような怒涛の日常ではありませんが、皮膚や粘膜の不調は、やはり精神的肉体的ストレスがきっかけで現れます。
季節の変わり目はいつも緊張を強いられており、早く季節が変わって天候が安定してほしいと願うばかりです。
寒暖差が著しいと、屋内でも影響が見られることがあります。 例えば、
  • エアコン・・・なんとなく排気が臭う。
  • 水回り・・・コバエが発生したり、排水溝が臭い始めたりする。
  • カビの発生・・・普段生えない思わぬところにカビが生える。
  • 居室・・・季節外れの蚊が侵入する。
このようなことから、寒暖差が著しい日が続くと、細菌や虫までもが影響を受けていることがうかがえます。 そう考えると生物は、天候に生殺与奪権を握られていると言っても過言ではなく、心身の健康に配慮した住環境の整備や構築は、怠ることはできない姿勢です。
では、具体的にどうすればいいのか考えてみます。
  • 現在の住環境整備を高めていく・・・天候の影響を受けにくい住環境の整備にはそれなりの費用が必要になりますし、その環境を維持していくために費用がかかります。初期費用と維持費用の確保がネックです。 
  • 天候が安定した土地に移住する・・・台風や豪雨がない、天候が安定した地域に身を置き、天候不安定から起こる体調管理の心労から解放された生活ができたらと思うことがあります。しかしながら、近年の日本では、従来の天候経験の感覚が通用し、安全が担保できる地域があることさえ疑わしくなってきているのが実感です。台風被害の印象が薄い大阪では突風被害、豪雨とは縁遠い岡山では豪雨水害が起きてしまったわけですから。 
  • 憧れの場所に移住する・・・残りの人生を憧れの場所で過ごす為に、思い切って移住することで、心の健康に賭けてみるのも選択肢の一つです。 例えば、パッと思い浮かぶのが北海道です。幼少期にテレビで見ていたムツゴロウの動物王国になんとなく憧れを持ったことがあります。北海道の広大な土地でのびのびと動物と楽しそうに生活しているムツゴロウさんを、単純にうらやましいと思っていました。 
やっぱりムツゴロウさんはすごい
最近、歯磨き粉のテレビコマーシャルでマツコ・デラックスと共演しているムツゴロウさんを見かけました。かなりご高齢になった印象でしたが、華のある風変わりな雰囲気は相変わらずで、お見かけすることができて嬉しく思いました。テレビ番組のムツゴロウとゆかいな仲間たちが終わり、メディアへの露出がぐんと減っていたムツゴロウさんですが、近況をネットで調べると、東京ムツゴロウ動物王国は撤退し、再び北海道の浜中に動物王国を移転しているようで、動物王国は健在です。 
先日テレビで、坂上忍さんによる、ムツゴロウさんと奥様へのインタビュー番組が放送され、経歴や動物王国について触れていました。東大を卒業後、就職、執筆、結婚などの紆余曲折を経て、無人島生活から始まったのが動物王国の原点だそうです。ムツゴロウとゆかいな仲間たちでは、いろんな国へ行き、さまざまな動物と触れ合うムツゴロウさんをただうらやましく思っていましたが、建国当時は食べる物や暖を取ることにも苦労をされたそうです。 

禁煙されたほうが・・・
昨年末は、生死をさまようような大病(たしか心筋梗塞)をされていたとのことで、その姿はなんとなく生気のない様子でした。しかし、大病をしたにもかかわらす、喫煙をしながら身振り手振り過去のエピソードを語る姿に、この破天荒で頓珍漢なところが魅力なんだと、どこか安心した気持ちになりました。

現在のテレビでは流せない
ムツゴロウとゆかいな仲間たちでは、特に若い頃、髪が長い頃のムツゴロウさんはかなり尖っていて怖かった記憶があります。現在のテレビでは流せないほどの、衝撃映像でした。 例えば、 
  • エゾ鹿に前足でボコボコに蹴られる。
  • 熊と大喧嘩(キレたムツゴロウさんは熊より怖かった)。
  • ブラジルでニシキヘビにメリメリと音を立てながら頭と顎を締め上げられて瞳孔が開く。
  • スリランカで象の調教中に、マネキンのように振り回され踏み殺されかけるものの、その後すぐにムチで象を報復制裁し象はおとなしくなる。
  • ライオンに指を噛みちぎられるが、病院で治療した後、すぐに包帯グルグル巻姿でそのライオンに笑顔で会いに行く。 
  • かつて遊んで心を通わせたとされるライオンに再会するものの、そのライオンに首根っこを噛まれる。 
といった、もはや動物との触れ合いなどではない衝撃映像でした。当時、茶の間で視聴していた幼少期の私は、度肝を抜かれテレビの前に釘付けになっていました。 動物が大好きな変わったおじさんといった印象のムツゴロウさんですが、どうしても解せない、不可解な映像も記憶にありますので、それについても少し触れたいと思います。 
  • 巨大ナメクジを丸飲み・・・アメリカかどこかの巨大ナメクジをじっと見ながら解説しているムツゴロウさん。透明な板にナメクジを乗せ、「こうやって移動するんですねえ。」と解説している途中で、そのナメクジをひょいと口に入れ、ゴクリと丸飲みをするという奇行に。ナレーションでも一切説明がなく、理由がわかりません。その様子を傍らで見ていた人(多分現地ガイドさん)が、驚いて顔をかきむしるような動作をしていました。あんなに動物を愛しているムツゴロウさんが、なぜ巨大ナメクジを食して喜んでいたのか、未だに謎です。
  • 牛のおしっこを飲む・・・牛が排泄しているおしっこを両手で受け止め、なんとそれを清流の湧き水を飲むかのごとく、嬉しそうに飲んでいました。 
この二つの奇行は一体何のか、未だにわかりません。 動物への愛とは違うような気がしてなりません。
こういった映像は、普通に放送されていました。当時の社会は寛容な時代だったかもしれません。現在では流せないでしょう。 

唯一無二の存在
動物研究に限らず、麻雀が強く、絵画も得意、執筆や映画監督もこなす多彩な才能を持っているムツゴロウさん。今の芸能人で例える人がいないほどの唯一無二の存在です。 

好奇心こそが健康の秘訣
ひとつ言えるのは、ムツゴロウさんは好奇心がとても強い人ではないかということです。その好奇心の昇華が最も実現できた対象が動物の研究だったのかもしれません。ムツゴロウさんを見ていると、好奇心こそが健康の秘訣ではないかと思えてくるのです。 
また、とある新番組の宣伝でムツゴロウさんは「生きていることを好きな人に見てもらいたい。」 と、言われていました。生きることへの強い好奇心が現れた印象的な言葉でした。また、その言葉を聞いて、「自分は本当に生きていることが好きなのか?」と、しばらく考え込んでしまいました。辛いことがあると、生きていることが好きでいられるのでしょうか。生きていることは苦痛であること―と、心のどこかで思っていた気がします。 住環境の整備を考えることも大切ですが、それと並行して、何をどうすれば、生きていることが好きだと思えるようになるのか、考える必要がありそうです。

2018年10月6日土曜日

マスク着用について思ったこと。

プレドニンやプログラフといった、免疫抑制剤を服薬する治療法は痛し痒しで、重症筋無力症の症状を軽減させるかわりに、風邪などの感染症にかかりやすくなるというリスクをはらんでおり、皆さんもそうだと思いますが日常生活は、戦々恐々なものへと変わっていきます。
そういったリスクの回避を新たに考えなければならず、始めた対策が、手洗い、うがい、マスクの着用です。しかし現実は裏腹で、他人からの理解は乏しく、恐れていた感染症は現れてしまいました。重症筋無力症の症状の悪化がなっかたのが不幸中の幸いでしたが、爪、鼻、腋下、粘膜、皮膚などに免疫抑制剤の副作用がどんどん現れていきました。
  • ・・・喉の痛みは時々起こりました。
  • 手足の爪・・・プレドニンの服用が原因でしょうか、知らないうちに爪が薄く柔らかくなります。この柔らかい爪が伸びてくると、ちょっとした引っ掛かりでも爪が裏返りやすくなります。なので、爪を短くしないと指先の不快感があります。ところが、短めに爪を切ることで、爪を切った付近が炎症を起こしてしまうので注意が必要でした。誤って深爪をしてしまうと、ばい菌がはいって炎症と痛みを起こしました。さかむけも同様です。足の指の爪に関しては、陥入爪を起こしてしまったことがあり、このときは歩行もままならないほどの痛みでした。陥入爪は健常な人にも起こることですが、人生で初めての経験でしたので、免疫抑制剤で感染に弱くなっていたのが原因かと思われます。本当に驚きました。インターネットで直し方を紹介しているサイトを見つけてそちらの方法で治すことができました。治療方法をサイトで調べているうちに新たに知ったのは、爪の切り方でした。スクエアオフという切り方です。この切り方は、陥入爪を起こりにくくする切り方だそうです。また、爪の強度を保つことができるので、裏返りにくくなります。足の爪だけではなく、手の爪にも、この切り方を試してみました。スクエアオフで、感染による炎症や化膿はずいぶんと減りました。爪の切り方一つも甘くみることはできません。
    【参考リンク】
    陥入爪、爪肉芽の悩み相談、
    切り方はスクエアオフ
  • 頭皮・・・フケがたくさん出るようになり、痒みも激しいものでした。就寝中に目がさめるほどの掻痒感です。白癬菌か何かわかりませんが、皮がポロポロと剥がれ落ちていきます。これは毎日洗髪を行っているにもかかわらず起こりました。抗菌シャンプーで少しは減りましたが、収束するほど決定的な効果は得られませんでした。日中も痒みはひどく、痒くて集中できない状態になりました。
    【関連記事】
    洗髪動作や頭皮不調に伴う労苦を軽減する工夫について
  • ・・・呼吸をすると鼻の中から変な匂いがし始めました。例えるなら、放置した雑巾のような、腐敗臭のような、嫌な匂いです。免疫抑制剤を服用してから、こういったことが起こり始めました。正しい対策ではないのですが、市販のうがい薬で鼻うがいをして、鼻の中の清潔維持を試みていました。あまり効果はなかったので、どうやら鼻の奥深い箇所で異変が起きていたのでしょう。鼻うがいを頻繁に行い、鼻水をしっかり外に出していました。また、ティッシュでこよりを作り鼻に突っ込んでくしゃみを起こすことで、鼻水をたくさん出すようにもしていました。くしゃみや鼻水を意図的に起こすことで、鼻の奥を清潔にしようという試みです。そういったことを繰り返し行なうと、徐々に鼻の奥の嫌な匂いは減りましたが、免疫抑制剤をやめるまで、この不快な匂いは収束しませんでした。たくさん鼻水を出すことでかろうじて腐敗臭が軽減できていたといった感じです。
  • 脇の下、脇腹・・・知らないうちに赤い発疹ができており驚きました。なんの痛みも痒みもないのですが、赤い発疹がポツポツと現れて異様でした。これは、当時の主治医に見せたところ、リンデロンが処方されて塗布することで収束しました。
  • 肛門・・・排便後に肛門の周りがむず痒くなったり、ヒリヒリと熱感を持つようになりました。市販の消毒薬や塗り薬を試しましたが、最も効果があったのはおしり洗浄器でした。少しでも痒みや熱感が現れたらすぐに洗浄していました。まめに肛門周りを清潔にすることで、痒みや熱感はなくなりました。やはり、ばい菌は洗い流すのが一番効果的なのかもしれません。
  • 帯状疱疹・・・これが一番のつらい副作用だったかもしれません。
    【関連記事】
    帯状疱疹が現れた
    爪の炎症、鼻の蓄膿、頭皮の掻痒感、腋下の発疹、帯状疱疹、喉の痛みといったかたちで次々に現れていきました。
    プレドニンやプログラフの服用は、私の場合、粘膜や皮膚が薄くなりました。そういった弱くなった箇所、清潔管理がしにくい箇所に、不調が現れる印象がありました。

    清潔を頑張るほど浮いた存在へ
    主治医からは、「免疫抑制剤を飲んでいるうちは、潔癖くらいが丁度いいですよ。」と言われていたので、当時、衛生観念にはかなり神経質になっていました。感染症による症状悪化が本当に怖かったので、マスクを常用していました。
    通院などで街中を歩くときはマスクを二枚重ねにするほど神経質になっていました。
    免疫抑制剤の服薬期間中の何年かは、ほぼ毎日マスクをして過ごしていました。
    手洗い、うがいを頻繁に行なっていると、水道の音がうるさいと家族に言われることがありました。手洗いうがいに関して他人との軋轢はそれぐらいしか起こりませんでしたが、難儀なのはマスクの着用です。
    マスクの着用は室内でもしていました。なぜなら、家族は風邪を引いてもマスクをしないからです。風邪を防ぐ為に仕方なく着用していたわけです。家族の誰かが風邪を引いたりインフルエンザにかかった時に、マスクをするように頼んでも、面倒だとか邪魔だとかという理由で、拡散予防に一切協力してもらえず、悔しい気持ちになることもありました。逆に、「マスクなんか陰気臭いからしないでくれ。」とさえ言われたものです。免疫抑制剤の服用で体調がみるみる変わっていくことに危機感を感じていた私と、そんなことを意に介さない家族との温度差は大きく絶望的なものでした。マスクが邪魔なのも陰気臭いのも、わかった上での協力をお願いしていたのですが。家族の理解があれば、家の中くらいマスクをせずに済んだのですが、最後までわかってもらえませんでした。
    日本人の国民性でしょうか、それとも地域性なのでしょうか、いつもマスクをしているとネガティブに解釈される印象を受けます。特に私の住んでいる田舎では、顔を隠す閉鎖的な人間に思われるのでしょうか、あの人はなんでマスクをしているのだろうかという無言の圧力、視線を感じます。
    また、普段からマスクをして行動していると、たまに会う甥っ子や姪っ子がマスクの着用を真似したがります。なぜマスク姿を真似したいのかわかりません。近所の子供に至っては、「あのマスクの人は誰?」などと言われ、「じろじろ見るな。」と、心の中でよく思っていたものです。子供が抱く、風変わりな者や少数派への純粋無垢な反応は、大人以上に露骨です。
    職場においても、マスクをしていると、
    • 「今日は風邪なの?」
    • 「なんでマスクなの?」
    • 「花粉症でもあるの?」
    と、何人もの同僚に質問をされる時代でした。それだけ当時は、マスクをする人は珍しかったような気がします。
    眼瞼下垂を隠すときやまぶしさに耐えられない時は、サングラスも併せて装着する場合もあったので、やはり、かなり浮いていたと思います。

    隠蔽を目的にマスクを着用する人も
    最近はマスクをしている方が多く、一体なんでこんなに皆マスクをしているのか不思議です。テレビに映る自衛官や警察官までもマスクをしている人を見かけます。国や地域の治安を守る立場である以上、公衆の面前では屈強な姿であって欲しいものです。
    さて最近では、だてマスク(伊達マスク)という言葉さえ存在し、体調、衛生管理だけがマスクの着用理由ではなくなっているようです。
    以下ウィキペディアより引用します。
    着用者や推進派が語る、「だてマスク」の目的は以下の通りである。
    • 何となく落ち着く[1]
    • 怒られている時、マスクを外しているとこたえる[1]
    • 顔がコンプレックスだから[1]
    • 顔を隠せるため視線にさらされない安心感がある[1]
    • 会いたくない知人と会ったとき、相手に気づかれずにやり過ごせる[2]
    • 人と話さずに済む[4]
    • 物怖じせずに会話ができる[4]
    • 妄想でニヤついても問題がない[4]
    • マスク美人もしくはイケメンになれる[4]
    • 仕事中に眠いのを隠すため[3]
    • ノーメイクで出かけるときの顔のカバーとして。
    • 寝ているときに乾燥から唇や顔を保湿する美容目的。
    • 真夏やスキー、スノーボードなどでの紫外線予防。
    • 髭が剃れなかったり、徹夜明けの無精ひげを隠す。
    • 焼き肉など臭いの気になる食事を楽しんだ後の口臭予防。
    • 調子が良くないときに何となくアピールできる。
    マスク、もうやめた
    だてマスクのことを知ると、マスクの使い方や効果も色々あるんだなと思わされました。
    現在は、マスクをすることはほとんどなくなりましたが、ひょっとしたら、だてマスクをすることがあるかもしれません。
    今冷静に考えると、マスクの効果がどれほどのものだったのかわかりませんが、戦々恐々な毎日だったので、当時はそうするしかなかったように思います。
    不思議なもので、服薬を終え、皮膚や粘膜に副作用が現れなくなると、マスクなどしたくないと自然に思えてきました。
    やはりマスク無しで、自信を持って出かけることができるのは、嬉しいことです。